おれたち仲良いね
思えば人生の選択肢というものはいくつもあって、いくつも自分自身で選んでここまできた。きっとみんなそうだ。ありきたりな人生なんて一つもないに違いない。だって他の人の気持ちがまるっきりわからないのと同じように私の気持ちをまるっきり理解出来る人はいないのだ、それはつまり歩んできた人生が違うから生じることで、えっと、つまり、そういうことだ(サボった)
結婚するということは、私にとっていくつかの選択肢のひとつであって、そして始まりでもあった。良かったか悪かったかは分かることは一生ないであろうけれど、今言えることはとても楽しく生きているということ。
4年目の結婚記念日は那須にある落ち着いたペンションに宿泊した。私は栃木県って大好きだ。キャンプや温泉などで何度か行ったことがあるけど、なんだか温かい気持ちになる。ペンションには貸し切りが出来る露天風呂があって、とても良かった。のんびり過ごした。いつまでも仲良くしていたいなとふと思った。もちろん夫婦でもあって、付き合いたての恋人のようでもあって、親友のようでもあって、兄弟のようでもあって、親子のようでもある、ずっとそんなふうにやっていきたいなァ。
窓の魚
感情をコントロールすることは難しい。私は楽しいと思ったときは犬が尻尾を振ると同じ具合で喜ぶし、反対に悲しいと思ったときはすぐに表情が曇る(らしい)し涙も簡単に流す。いつでも素直で、だけどそれなりに気を遣えるような人間でありたいなァなんてここ数年は思っている。
人の気持ちはわからない。絶対にわからない。どんなに愛していようが、似てようが、血が繋がっていようが、まるっきり分かるということは絶対にない。私の気持ちは私だけのものだし、あなたの気持ちはあなただけのもの。それでも誰もが同じように生きていれば心の奥底、暗くて深いところに闇を持っているのだと思っているし、そうであって欲しいと願っている。それを誰も見せないのは気遣いだったり、強がりだったり、人によって理由は色々あるし内容も色々なのであろうけど、同じような闇を持っている。きっと持っている。そう思うとなんだか今日も生きていこうと思える。
私は強く生きたい。みんながみんな、強く生きられればなんて幸せな世の中なのだろうと思う。死にたくなっても死なないで。誰かが死ぬニュースを見ると死にたくなるほど辛いんだ、怖いんだ。死にたくなって死ぬ人の気持ちも少しわかるからだから余計に悲しい。死ぬことを人事とは思えない、思ってはいけない
お探し物は図書室まで
わたしとして生きるということ、わたしの心に耳を傾ける、わたしの心の動きを知る、わたしのしたいことをする、とても小さな震えですらも拾いあげる、見てみぬふりを絶対、しない
大切なものは何かを知る、その大切なものを当たり前のように大切にする、自分の人生に誇りを持つ、わたしにしか歩めなかったわたしの、わたしだけの、オリジナル。
気づかせてくれるものが偉いわけではない、気づかせてくれるものに気づけた人が偉いのだ。だから、わたしはずっと、いろいろな物に触れて、感じて、沢山の物に気づいていきたい。
夜はおしまい
神さまというものは、人々の心の真ん中にそれぞれ居る(持っている)と思って生きている。
人は何に駆られ行動を起こすか、なぜ絶望するのか、なぜ幸せを感じるのか…それは心(感情)があるからではないだろうか。
喜びを感じる心も、悲しみを感じる心も、幸せの根源も、絶望の根源も、私も含め多くの人は他者からの「何か」のせいにしたがるけど、結局は自分自身の心で作っている形のないものである。
だから、神さまは自分自身の心の中に居る。全員居る。きっと居る。探してみて欲しい。
そしてどうか大切にして欲しい。そうすることで、自分ではどうしようもない絶望が訪れたときに、その神さまが救ってくれる。
私は私の神さまを心底可愛いと思うし、ずっとずっと大切にしていきたいと思うし、そして何よりも誰よりも信じている。
おひさま
朝の散歩を始めた。日光を浴びることがほとんどない生活になってしまっていて、これでは身体にも心にも毒だということで面倒だと思いながらも朝、家を出た。普通にお散歩をしているだけだとつまらないので道端で花を見つけては写真を撮る遊びをした。
何をするにも遊び心って大切だよなァと思った。
こころがないている
自分を肯定して生きていきたいのに、言葉の節々から感じる否定を放つ本人は気づかないし理解はされないだろう。心の奥にあるコンプレックスやトラウマたちはなくなることなどある筈がなく、一生私の一部として生きており、ただただ黒く錆びていくだけなのだ。
今日は少しだけ生きるのが辛かった。