可愛い世の中
山崎ナオコーラさんを高校生のときに好きになってよく読んでいた。特に「ニキの屈辱」という本が1番好きで、それを読んだ時の心の動きを今でも鮮明に覚えている。
大人になってから買った「可愛い世の中」を3年ぶりくらいに再読した。男とか女とかそういうのを意識しない生き方を主張することの多い山崎ナオコーラさんからのメッセージ性をとても感じられた。
私自身、「男らしさ」「女らしさ」や「男だから」「女だから」とわざわざ意識する、強制することはとても生きづらいことだと思う。
しかし現実は、男女で体の作りが違うことは明確だしどうやら思考だって性別によって違うらしい。
女性は妊娠・出産をすることが出来るもんだから、出世することが男性より難しいように思う。(大きな仕事を任せている女性が突然妊娠して今までのように仕事が出来なくなっては会社側も困るからなるべくリスクがないように男性に任せたいという気持ちはよくわかる。)
力仕事に関してはやはり男性に任されることが多いし、それとは反対で受付・窓口などの業務は女性が多い。
家事育児も女性がメインでやっている家庭が多いのではないだろうか。
でも適材適所というものがあるし、男女の性質上得意なこと不得意なことがわかりやすく分かれる部分があると思うのでそういった役割分担的なことはとても良いと思うのだ。
何が嫌かって、それはそれを他人がとやかく言うことだ。自分の人生は自分で決めていくし、好きなように生きて良い権利が誰にでもあるはずだ。
夫婦の役割分担だってお互いがしっかり話し合って決めていれば、妻が外で働いて夫が家事を担当するのだっていいし、夫が外で働いて妻が家事を担当するのだっていいし、共働きで家事は得意な方がやるだっていいし、とにかくお互いが納得していればそれで良い。自分自身の生き方だって自分が納得していればそれで良い。というかそこが1番重要だ。
好きに生きる分、社会とのズレが生じる場合がよくある。それと上手く付き合っていかないとただただ苦しむだけとなるか、ら注意する必要があるなァとは思う。
全員が社会と自分を切り離して考えていけば、いずれ全員(とまでは言わないかもしてないけどより多くの人たちが)が生きやすい社会になっていくのではないかな。そうなって欲しいな。
男女での話もそうだし、結婚して当たり前、子供を産んで育てて当たり前、親の老後の面倒を見て当たり前…などという自分達の「当たり前」を押し付けてくる社会がとても生きづらい。何億人もの人間がいれば、平均がとれて「普通」が生まれてしまうのは仕方のないことだけれど、それから外れた考えに対しても「それもいいね」「新しいね」とすんなり受け入れられたらいいな。そして今の「普通」は薄れ、選択肢が人の数の分あることが、「普通」になったら良い。
という昨日の日記(読書感想文です)
そういばクローゼットの中身を整理してありとあらゆるお洋服を処分した。
淋しさは1ミリもなく、清々しい気持ちでいっぱいだ。